静御前の墓、栗橋町指定文化財デジカメ写真無料写真素材
静御前の墓
平氏追討の功績のあった義経の寵愛を受けた静が初めて義経に出会ったのは静が
15歳の頃。義経は兄頼朝の不興を蒙り、奥州平泉
の藤原氏を頼って京都を落ちのびました。静は義経を
慕い京都を発ち、平泉に向かいましたが。途中の下総国下辺見付近
で「義経討死」の報を耳にして悲しみにくれ、仏門に入り
義経の菩提を弔いたいと再び京に戻ろうとしました。しかし、
重なる悲しみと馴れぬ長旅の疲れから病気となり、文治5年(1189年)、この地で死去したと
伝えられています。